親鸞聖人のご生涯

  1. HOME
  2. 親鸞聖人のご生涯

出家・得度

親鸞聖人は、今から約850年前〈1173(承安(じょうあん)3)年〉、京都の日野の里に生まれました。平安貴族の時代が終わりを迎えようとする時代でした。9歳のとき、青蓮院(しょうれんいん)で出家得度して仏門に入られ、その後、比叡山に登り勉学に励まれます。
しかし、そこでは苦しみ悩みをのり越える道を見つけることができず、出家修行に終止符を打ち、法然上人の門をたたかれます。親鸞聖人29歳の時のことでした。

回心(えしん)

法然上人は、どんな命も尊いと教えてくださるのが阿弥陀仏であり、阿弥陀如来に帰命(きみょう)して南無阿弥陀仏と称えるならば、だれもが平等に救われると説かれました。上人によって、わかりやすく、善人も悪人も、老いも若きも、男も女も、生まれや才能も問わず、南無阿弥陀仏を称えることによって成り立つ救いが明らかにされました。煩悩を超えるために修行を重ねてきた親鸞聖人には大変な驚きでした。これ以降、念仏をよりどころとして生きていかれます。

法難(ほうなん)

念仏による平等の救いを解く教えは、さまざまな価値観や束縛から多くの人々を解放しました。しかし、同時に古くからあった仏教や権力者らとの間に摩擦を生ずることになりました。そして親鸞聖人35歳〈1207(承元元(じょうげんがん))年〉の時、朝廷から念仏を止めるようにとの命があり、法然上人のお弟子4人が死罪となり、法然上人を含めて8人が流罪となりました。親鸞聖人も罪人として越後(現在の新潟県上越市)に流されます。これが法然上人との最後の別れとなり、ふたたびお会いすることはできませんでした。

教化(きょうか)

この流罪を機縁として、親鸞聖人は「愚禿釈親鸞(ぐとくしゃくしんらん)」と名告り、恵信尼公(えしんにこう)と結婚し、家庭生活を営む中で念仏の教えに生きていかれます。5年の年月を経て罪は許されますが、しばらくは越後の地にとどまり、その後、関東地方へと向かわれます。そして約20年に亘り、念仏の教えを多くの人に語り伝えていかれました。それは同時に、悲しみ、苦悩の多い生活をする者にとって、念仏の教えがどれほど大切かを確かめることにもなりました。
その後親鸞聖人は、60歳を過ぎてから京都に帰られます。住居を一箇所に定めることもままならない状況でしたが、最晩年に至るまで、たくさんの書物を執筆し続けられました。
法然上人をとおして出遇わたれた平等の救いの道を浄土の「真宗」と掲げ、それを後世の人々に伝えるためでした。

入滅(にゅうめつ)

親鸞聖人は、1262年(弘長2)年11月28日、90歳の生涯を閉じられました。
念仏に生き、浄土の真宗をあきらかにし続けられた一生でした。